グローバリゼーションの正体
グローバリゼーションと聞くと何を思い浮かべるでしょうか?
前回の講演会で、この事に関しての意味を質問されましたので、これに関しての私の考えを記事にしてみます。
私の講演会(総論)では「あなたが考えたり、行動するときの判断の基準は何ですか?」という質問をします。
現代の日本人の多くの人が「みんなしているから」という事を当たり前に選択の基準にしていると感じ、それを「一種の現代病です」と言います。
みんながしている事をただ繰り返すのなら、自分はなぜここに存在しているのでしょうか?
そして、これは広い意味でのグローバリゼーションの一環であると説明します。
グローバリゼーションに関する印象が良いにせよ悪いにせよ、現実に世界的にグローバリゼーションの波が着実に押し寄せ、進んでいます。
日本でも、どこに行っても同じコンビニがあり、同じカフェがあり、同じファーストフードの店があり、同じ100円ショップがあり、同じスーパーがあり、同じ家電店があります。
一方で駅前のシャッター街に代表される様に、その土地に昔からあったお店はどんどん消えていっています。そのようなお店は量販店よりも品数が限られ、値段も少々高いかもしれませんが、他では見られない個性的なものもあるかもしれませんし、個性的な人とも出会えるかもしれません。
昔からの目に見える相手から買い、修理が必要になったら相談にのってもらう。モノを通して地域の人付き合いも密になり、信頼関係が生まれます。
これは、現代人からみると面倒なことと感じる人もいるかもしれませんが、「お互いを支え合う」思いやりともいえませんか。
日本のどこに住んでいても、同じ物が大量にほぼ同じ値段で安く手に入るようになりました。
TPPへの加盟で、今後この傾向は、ますます国際的なレベルで拡大していきます。
これは一見便利で平等な社会になっていると感じられるかもしれません。
しかし、本来はそれぞれの地域、場所にしかないもの、特徴があるからこそ面白いのです。
私は、グローバリゼーションを簡単に以下のように説明しています。
「グローバリゼーションとは世界を黒一色で塗りつぶす作業です。」
(別に黒でなくても赤でも黄色でもかまいませんが、わかりやすいようにです)
今現在世界には、70億人近くの人が住んでおり、本来はそれぞれが自分にしかない個性的な色を持っているのです。
真っ白なキャンバスにそれぞれの人がそれぞれの色を使って共同で絵を書いていくのです。
70億人の共同作業で地球というキャンバスにどのような絵を書きますか?
70億色あれば無限のバリエーションで絵が書けますね。
グローバリゼーションの究極の姿は、すべての人が同じ色(例えれば黒)を持つことになります。これでは、真っ黒な絵しか書けません。いえ、絵にもならないでしょう。
強調しますが、「みんなしているから正しい」という法則は一つもありません。
みんなと同じ事をやることは、安心で簡単で早くできたり便利であるかもしれませんが、一方で何も考えていない事にもなります。
衣食住、医療、農、政治、経済、教育、仕事…ありとあらゆる分野で現代文明のほころびが広がっており、それが次々に明らかになってきています。
みんながしている事が「大丈夫ではない」からではないでしょうか?
私は、これらの問題の根本は、共通していて実にシンプルなことだと思っています。つまり、全ての分野で自然(の法則)に反していることが本質なのです。
私は医師ですので、その事を主に医療・健康の分野から伝えていきます。
私たちは、そろそろ、これからどのようにすれば良いかを考える時期に入ったのではないでしょうか。