多様性を認め合うことについての補足 ~西洋医学教にならないために~
先日(2019年3月6日)の統合医療シンポジウムでご質問にあった宗教も科学(西洋医学)も一緒というコメントの意味を少し補足し解説します。昨日の多様性についての記事にも大きく関連します。
https://www.facebook.com/shinjiro.homma/posts/2330569540601385
宗教も科学もどちらも主観(自分が思う事、感じる事)よりも客観(自分の外にあるもの、一般的な事、常識、皆がしている事)を正しいと思うという意味で同一と言いました。自分以外に答えを求める姿勢の代表が宗教(特に一神教)であり、現代では科学や同調圧力(皆に合わせること)になります。
自分にとっては本来は主観しかなく、客観はあると仮定していものなのです。しかし、多くの人は主観よりも確かではない客観の方が正しいと思い込んでいます。
客観(例えば科学的な事や皆がしていること)を正しい(自分の判断のよりどころ)と考えてももちろん構わないのですが、一方で客観より主観を大事にするという考え方があっても良いのです。
強調しますが、主観を大事にしているからといって必ずしも客観を軽んじているとか、意味がない事だと考えている訳ではないのです。客観的な事ももちろん判断する為の材料にはするが、それ以上に大切な事があると考えているということです。
現代社会の大きな問題の一つは、客観的に物事を考えている人が主観を大切にしている人を攻撃しているということなのです。場合によっては「虐待」という言葉を使ってまで自分(達)が正しいと思う事(皆がしているという客観)に他人を従わせようとまでしています。
皆がしていること以外を認めないのは多様性を否定する事です。昨日の記事にも書きましたが、多様性とは個性であり、人の持つ可能性であり、自由であり、生きる意味と言い換えてもいいと思います。つまり、多様性を否定する(一つの同じ価値観しか認めないという態度)とは人間の可能性を否定する事であり、存在理由を失う事でもあると思います。
例えば、ワクチンを打つという選択肢があっても、打たないという選択肢があってもいいのです。当たり前の事ですね。打つ選択をした人が打たない選択をする人を攻撃してはいけませんし、逆に打たない選択をした人が打つ選択をする人や勧める人を攻撃してもいけません。
互いが互いを批判し攻撃し合っていれば、いつまでたっても良い方向には行きません。「自分はこう思う」と意見を述べ合い、否定し合うのではなく肯定し合えば(ただ認め合えば)いいのです。それが多様性を認めるということです。
同じような事は「同調圧力」として日常生活を含め社会のあらゆる所でみられます。例えば、人工乳を追加するかどうか、断乳するかどうか、牛乳を飲むかどうか、給食にするか弁当持参にするか、アトピーや湿疹にステロイドを使うかどうか、低身長に成長ホルモンを使うかどうか・・・
自分が良いと思う方を選択し、違う選択をした人を非難したり攻撃せずに、ただ認め合えばいいのです。これは、意見を述べないとか議論をしないという意味ではありません。多様性を認め合うだけで、戦争などの国際的なものから日常生活に至るほとんどすべての問題が解決するのではないでしょうか。
西洋医学に戻りますが、医師は西洋医学(科学)を考え方のベースにする事自体はごく当たり前の事であり問題ないでしょう。ただし、西洋医学は西洋医学の範囲内では全く正しいのですが、西洋医学以外にもたくさんの医学や医療、アプローチ法があるのです。
西洋医学以外のものが間違っているとか、認めないという考え方(これ自体もあってもいいと思いますが)は基本的に宗教と同じになるということです。つまり西洋医学教です。宗教(一神教)とは自分(達)の信じること(神)以外を認めない(多様性を否定している)ことですし、自分以外の価値観で(客観を重視して)判断しているからです。
さらに、それを超えて西洋医学以外の選択をした人を攻撃してはいけません。そうなった時点で西洋医学は西洋医学教を超えてカルト(暴力)になるでしょう。
科学的なもの以外を宗教とか、オカルトとか、怪しいものと考える人が多いですが、このように考えると西洋医学の方がまさに(科学という仮面をかぶった)宗教に近いと言えるということです。
また、残念ながら現在では科学的とされている論文も多くが改ざんされているという事実もあります。そして改ざんがあるのかないのかは専門家でも判別が難しい場合が多いです。ですから、どんなにたくさん論文を並べても、改ざんの問題(その他にもたくさんの問題がありますが)を考慮しなければ本当の意味で科学的であるとは言えませんしエビデンス(証拠)にもなりません。たくさんの学会が勧めていても同様です(学会とは論文が正しいという前提でしか議論しません)。
もちろん、見えないことを理由に非科学的な事が何でもありという訳ではないのは言うまでもありません。
私は西洋医学をまったく否定していません。西洋医学的な論文、考え方、治療法ももちろん参考にします。しかしそれ以上に大切なこともあるのです。
実は科学では物事の本質はわからないのです。科学はメカニズム(How)についてはとても理論的に説明できるのですが、本質であるなぜ(Why)については決して答えることは出来ません。私は物事の本質を探求する生き方(医療を含めて)をしていきたいという事です。これに関してはまたの機会に解説できればいいですね^^